髪・顔・体は同じ皮膚なのに、洗うものが違う不思議

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photo credit: 髪の治療院のWEBクリニック

普段の私たちの生活の中で、何の違和感も感じずにごく当たり前のように行われている

「髪はシャンプー、顔はクレンジングや洗顔石鹸、体は石鹸やボディソープ」を使って洗っていることに関して

何の疑いを掛けることなく毎日の習慣として繰り返していますが。。。

ある時「同じ一枚の皮膚なのに、なぜ違うもので洗う必要があるのか?」と思ったのです。

私たちの生活の中の常識と非常識への疑問

今回あまりにも常識的で、尚且つ当たり前過ぎて話題にも上がらないような「洗う」という行為について、

顔や体を洗えないような洗浄剤(シャンプー剤)で本当に安心安全と言えるのか?との疑問を提起すべく、

ブログエントリーとしてアップさせていただいた次第です。

そこでまず最初に、日本でのシャンプーの歴史を紐解いてみると、、、

日本では洗髪の習慣は過去に遡る程頻度が少なく、日本髪が結われていた時代は1ヶ月に一度程度というのが一般的であった。

大正期から昭和初期になると白土・粉石けんなどを配合する髪洗いが流通、その後、固形のシャンプーが発売されるようになってシャンプーという言葉が一般化。
1926年に葛原工業より「モダンシャンプー」が出るが売れず、1932年に花王から「花王シャンプー」が発売される。
1950年以降には石鹸から界面活性剤へと変わり、なかでも「花王フェザーシャンプー」は、約80%のシェアを占めた。
1980年代中盤から朝早く起きてシャンプーをしてから通勤、通学する「朝シャン」が若い女性に流行。
1986年には資生堂から「モーニングフレッシュ」が発売されるなど、シャンプーが手軽に、短時間でできるような商品が開発。

シャンプーとリンスが一度で済むリンスインシャンプー。
裸になって風呂場まで行かずとも、洗面台で髪を洗えるシャンプードレッサーが登場。

【出典元】
『現代商品大辞典 新商品版』 東洋経済新報社、1986年、615頁
a b c “ティドビット〜水まわりのまめ知識〜”. TOTO. 2013年5月25日閲覧。
Douglas Harper (65456). “Online Etymology Dictionary”. 2012年10月4日閲覧。
pp. 148–174, The travels of Dean Mahomet: an eighteenth-Century journey through India, Sake Deen Mahomet and Michael Herbert Fisher, University of California Press, 1997, ISBN 0-520-20717-3
日刊工業新聞MOOK編集部『身近なモノの履歴書を知る事典』

界面活性剤を使用したシャンプー剤やリンス・トリートメントが普及する前は石鹸で洗うのが一般的で、私の幼少期の昭和40年代頃までは、頭も顔も体もすべて石鹸で洗っていた記憶がうっすらと脳裏に焼き付いています。

「シャンプー=洗髪」と訳されていた影響とおもわれますが、1990年代の後半まではシャンプーは髪を洗うモノという印象が強く残っており、頭皮を洗うものとして認知され始めたのは2000年を過ぎてからだった様に記憶しています。

以降、リンスやトリートメントの登場し始めた昭和50年代から少しずつ髪のトラブルが増え始め、ムースやワックスなどの整髪料が出現すると瞬く間に広がるのと同様に、切れ毛や細毛などの髪のダメージやカユミや湿疹といった頭皮トラブルも悪化していきました。

そして2010年以降、ヘアケア製品だけでなくスキンケア製品やボディケア製品が高品質・高性能化していくのと比例して、髪・肌・体のダメージはどんどん深刻化しており、少しでも未知なる症状に対しては「アトピー性(皮膚炎)」という大きな括りで処理されているのが現状です。

頭、顔、体の皮膚は、PHに多少の差はあれど見た目の違いは毛が有るか無いかくらいで、皮膚の構造は殆ど同じ組織で構成されているにもかかわらず、

「なぜ違う製品で洗っているのですか?」と疑問を提起するまで全く疑うことなく、無意識の内に常識として習慣化されています。

今回のエントリーのテーマであるシャンプーを例にあげてみると、私は、頭も顔も体も洗える製品でなければ本当に安心安全な製品とは言えないと思いますが、あなたはどうお考えでしょうか?

もしあなたが、髪のパサつきや切れ毛、頭皮の痒みや炎症でお悩みでしたら、ヘアケアの常識について今一度考え直してみる必要があると思います。

髪の治療家 田中和義 より

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